1949年の創業以来、フエルトの製造を通じて製紙業の進化と発展に貢献してきたイチカワ。「紙の消費量は文化のバロメーター」とも言われるように、紙パルプ産業発展の歴史は日本の経済成長の歴史とともに歩みを一つにしてきています。数々の特許技術や製品開発を通じて業界の発展を支えてきたイチカワは、これからも社会課題の解決に役立つ製品を世に送り出し続けていきます。
創業期(1930年~)
日本古来の紙である「和紙」は、パルプ繊維を漉いて天日または炭火で乾燥させる方法で作られてきました。1850年代に鎖国が解かれて国内に西洋の製紙技術が流入すると、脱水工程にフエルトが必要となりました。これに伴い製紙機械と共にフエルトの輸入が始まったものの、度重なる戦争の影響などによってフエルトの供給は次第に滞ります。そんな時代を背景に1918年、イチカワの前身である東京毛布株式会社 が設立され、製紙用フエルトの国内製造が始まりました。
東京毛布株式会社はその後、日本フエルト株式会社に吸収合併され、その市川工場として操業。関東大震災、日中戦争、第二次世界大戦と続く激動の時代を乗り越え、1943年には国内シェア90%にまで達しました。終戦後1949年、千葉県市川市にて市川毛織株式会社を設立。戦後の混乱の中、大きな負債を抱えての門出となりました。
現在まで受け継がれる社是、「事業は人なり而して人の和なり」「より良い品をより安くより多く」は、設立式典での社長挨拶の言葉から引用されたものです。社員のたゆまぬ努力により数々の困難を乗り越える企業文化と、生産におけるイチカワの心がまえを表しています。
1918(大正7年)11月 |
市川毛織の前身・東京毛布株式会社が当社旧市川工場の地に設立される。 |
1942(昭和17年)10月 |
日本フエルト株式会社と合併し、日本フエルト株式会社市川工場となる。 |
1949(昭和24年)11月 |
企業再建整備法により日本フエルト株式会社から分離し、市川毛織株式会社設立(本社:千葉県市川市)。 |
織フエルト時代(1950年代~)
1950年代当時の、製紙機械は低速小型が主流であり、用いられるフエルトは羊毛素材の織フエルトのみでしたが、その耐久性が課題とされていました。課題解決を目指して品質向上に取り組んだイチカワは、後に特許となる「タンニン処理」の独自技術開発で注目を集め、混紡フエルト、親水化処理(NZ処理)、メラミン樹脂加工などの数々の開発によってフエルトの耐久性を大幅に向上させていきました。
技術開発とともに製造設備の近代化が進み、増産体制も整備されていきます。一方で製造能力の向上は羊毛原料の不足を招きました。そこで落ち羊毛を活用し、静電気を用いたフエルト植毛技術を独自に開発。「イチロン」の製品化を実現させたこの技術は、以降数々の特許に結びついていきます。イチロンは当初、カーペットや自動車、鉄道の内装などインテリア用途で活用され、後には海外輸出も始まりました。
こうして「技術のイチカワ」のブランドを確立すると共に、人的資本にも着目した経営によって安定した労使関係を築き、成長の基盤を確立。二つの社是に則って発展を続け、1951年、ついに東京証券取引所への上場を果たしました。
1950(昭和25年)5月 |
ナイロン混紡フエルトを開発。 |
1951(昭和26年)5月 |
東京証券取引所に株式を上場。 |
1953(昭和28年)12月 |
子植毛カーペット「イチロン」の製造販売を開始。 |
1960(昭和35年)8月 |
子会社・友部工業株式会社を設立。 |
1961(昭和36年)12月 |
子会社・株式会社イチロンサービスを設立。 |
ニードルフエルトの時代(1960年代~)
1960年代に入ると、抄紙機の急速な大型化が進みました。また、両面脱水機構を備えたマシンの登場によって脱水性が向上し、生産工程がさらに高速化するとともに紙質の飛躍的な改善を実現しました。続いて大型で耐久性の高いフエルトへの需要が高まったことを受け、基布とバットの構造を持つこれまでの織フエルトとは全く異なる「ニードルフエルト」開発への挑戦が始まります。1962年、初めて実施された市場テストで好評を博すと、翌年には新設の柏工場に広幅ニードルマシンが導入され、ニードルフエルトの生産が本格化。開発されたニードルフエルトは「IK キンドル King of Needle」として製品化され、合繊比率の高い新製品も登場しました。
抄紙機用フエルトはニードルフエルトへと急速に転換が進み、このような絶え間ない設備投資と技術開発に取り組む中で、イチカワは創業20周年を迎えます。
1963(昭和38年)11月 |
本社を千葉県市川市から東京都文京区(現在地)に移転。 |
1964(昭和39年)7月 |
柏工場(千葉県柏市)を新設、ニードルフエルトの製造を開始。 |
1965(昭和40年)5月 |
フエルト用洗剤の製造販売を開始。 |
1968(昭和43年)4月 |
子会社・有限会社市毛加工を設立。 |
ニードルフエルト(バット・オン・メッシュ)の時代(1970年代~)
上質および中質抄紙機を中心に中性紙が普及し始めた1970年代には、シューによる加圧機構が登場。板紙抄紙機でも紙質を損なうことなく、プレスパートにおける脱水性能の大幅な向上が実現しました。
こうした抄紙機の進化に対応しようとイチカワが開発したのが「バット・オン・メッシュ(BOM)技術」です。従来の紡績糸の基布に比べ、走行性や脱水性に優れたモノ・マルチフィラメント糸の基布を採用し、様々な素材と組み合わせることで、メッシュエース・、フローエース、ハイニップエース、ラミネートエースなど、今日のフエルト製品の礎となる製品が生み出されました。中でもベロイト社(アメリカ)のExtended Nip Press の実用化に適応した新構造フエルト「ラミネートフエルト」の開発で特許を取得。以降ラミネートフエルトは、シュープレスフエルトの業界標準となりました。
抄紙用フエルトの新技術を次々と開発する一方、インテリア事業に加え、アパレル素材や環境保全分野への進出など、経営の多角化も進められました。埼玉県の戸田にアイケー配送センターを整備して販売シェアを確保し、また海外抄紙企業との販売提携に着手したりしたのもこの頃です。
1970(昭和45年)7月 |
鐘淵紡績株式会社練馬工場のフエルト事業部門を買収。 |
1974(昭和49年)10月 |
友部工業株式会社を吸収合併し、友部工場(茨城県笠間市)とする。 |
1975(昭和50年)4月 |
当社の販売部門を基に、フエルト販売代理店を合併し、子会社・市川毛織商事株式会社を設立。 |
1975(昭和50年)10月 |
子会社・有限会社柏加工を設立。 |
1976(昭和51年)1月 |
子会社・有限会社友部加工を設立。 |
1977(昭和52年)3月 |
子会社・市毛不動産株式会社を設立。 |
多角経営と合理化・国際化の時代(1980年代~)
1980年代に入ると、シュープレスの普及が進んで洋紙用マシンの高速化が進展するとともに、板紙マシンのシュープレスにも高脱水・省スペース化が求められるようになりました。イチカワはそうした要請に応えるため、さらに平滑な基布を求めて「ワイヤーライクラミネートフエルト」の開発に成功します。
製紙材料の古紙比率が上昇したことに伴って、過酷な洗浄によるフエルトへの負荷が増大し、オフセット印刷やフレキソ印刷の普及によるフエルトの脱毛や摩耗の問題も浮上してきました。さらに、フエルトの大型化・重量化に伴い、架け替え時の安全性の問題も顕在化。こうした労働課題に対応したのが、アメリカで高い需要を持っていたシームフエルトです。1986年に対応製品を市場に投入して以来、イチカワはあらゆる紙種の抄紙機に対応できるシームフエルトの開発を続けています。
環境保護の観点からは、フエルト洗浄剤が引き起こす問題を解決してフエルトの最適な状態を保つために、専用用具メーカーとして環境にやさしい洗浄剤の開発・販売も行いました。
技術開発と生産性向上への取り組みも進められました。製品の製造拠点を整理し、柏・市川工場への設備投資と統廃合を実施したほか、本社社屋を建設することで管理部門の強化を図り、人材方針を見直して人的資本の充実にも努めました。
第二次オイルショックによる低成長経済の後には急激な円高と好景気が到来し、企業の国際化が注目される激動の10年となりました。数々の困難を乗り越え、製紙技術と共に歩んできたイチカワの功績は業界にも広く認められ、創業40周年を迎えるに至ります。
1982(昭和57年)12月 |
子会社・株式会社アイケー配送センターを設立。 |
1984(昭和59年)11月 |
市川毛織商事株式会社全額出資により、米国現地法人、イチカワ・アメリカ・インコーポレーテッドを設立。 |
1986(昭和61年)5月 |
インテリア事業部門を撤収。 |
1986(昭和61年)6月 |
株式会社アイケー配送センターと株式会社イチロンサービスを合併して、株式会社アイケーサービス(現・連結子会社)を設立。 |
1988(昭和63年)4月 |
シュープレス用ベルト第1号を米国に輸出。 |
1991(平成3年)5月 |
イチカワ・アメリカ・インコーポレーテッドをイチカワ・ノース・アメリカ・コーポレーション(現・連結子会社)に商号変更。 |
1993(平成5年)4月 |
市川毛織商事株式会社を吸収合併。 |
1994(平成6年)4月 |
有限会社市毛加工と有限会社柏加工ならびに有限会社友部加工を合併して、有限会社アイケー加工(現・連結子会社)を設立。 |
1996(平成8年)4月 |
岩間工場(茨城県笠間市)を新設。 |
1996(平成8年)8月 |
市毛不動産株式会社を株式会社アイケーエージェンシーに商号変更。 |
1997(平成9年)10月 |
デュッセルドルフ駐在事務所(ドイツ)を設置。 |
1998(平成10年)7月 |
シュープレス用ベルトの開発が製紙業界の発展に寄与したことにより「佐々木賞」を受賞。 |
1998(平成10年)10月 |
市川工場を閉鎖し、生産機能を柏・岩間工場へ集約。 |
経営の近代化と国際化(2000年代~)
1990年代に入り、日本経済は長い低迷期に突入しました。コストカットなどといったここまでの減量路線とは異なる新たな成長戦略が求められ、大手製紙会社の合併が相次ぎ業界再編が大きく進みました。
こうした状況を受け、イチカワは抜本的な生産構造改革を実施。国際的なコスト競争力をつけるため岩間工場を新設しました。また、1970年代に登場した抄紙システムに対応するシュープレス用ベルトがアメリカの企業1社による独占販売であることに着目すると、単独での開発に挑んでこれを成功させ、アメリカへの輸出を開始しました。シュープレスの三大メーカーが欧州企業であることから、こののち欧州へと販路を拡大していきます。こうした国際的なビジネス感覚と適応力の高さは、これからのイチカワにとって大きな武器と言えます。
ウェットシステムの抄紙技術には、今後もフエルトが不可欠です。さらなる高速化に対応し、新製品や新素材の開発をあらゆる面で進めていく必要があります。Closed transfer型の抄紙機に対応するフエルトなど、新たな製品開発にも期待が寄せられる中、イチカワはこれからも、社是の精神に基づき新たな技術と製品を世界へ届けていきます。
2000(平成12年)3月 |
柏工場においてISO14001認証取得。 |
2000(平成12年)10月 |
上海駐在事務所(中国)を設置。 |
2001(平成13年)10月 |
デュッセルドルフ駐在事務所を現地法人化し、イチカワ・ヨーロッパGmbH(現・連結子会社)を設立。 |
2002(平成14年)10月 |
トランスファー用ベルト第1号をドイツに輸出。 |
2003(平成15年)3月 |
ISO9001認証取得。 |
2003(平成15年)6月 |
新たなコーポレート・ガバナンスの導入。
取締役員数の削減ならびに任期の短縮と執行役員制度の導入。 |
2004(平成16年)4月 |
研究部門と開発部門を集約し開発研究所(茨城県笠間市)を設置。 |
2004(平成16年)5月 |
営業部門を本社から柏工場敷地内に移転。 |
2005(平成17年)4月 |
中国現地法人、宜紙佳造紙脱水器材貿易(上海)有限公司(現・連結子会社)を設立。 |
2005(平成17年)7月 |
商号変更、新商号「イチカワ株式会社」。 |
工業用フエルト製品等の販売会社、株式会社イチカワテクノファブリクス(現・連結子会社)を設立。 |
2008(平成20年)4月 |
子会社・株式会社アイケーサービスを存続会社とし、子会社・株式会社アイケーエージェンシーを吸収合併。 |
2014(平成26年)6月 |
シュープレス用ベルト製品「Ichiriki」を販売開始。 |
2015(平成27年)6月 |
抄紙用フエルト製品「Zimoシリーズ」を販売開始。 |
2017(平成29年)7月 |
タイ王国にサテライトオフィスを設置。 |
2018(平成30年)7月 |
タイのサテライトオフィスを発展的に解消し、イチカワ・アジア・カンパニーリミテッド(現・連結子会社)を設立。 |
2019(令和元年)5月 |
岩間工場においてISO14001認証取得。 |
2022(令和4年)4月 |
東京証券取引所の市場区分の見直しにより市場第一部からスタンダード市場へ移行。 |
2023(令和5年)5月 |
開発研究所を岩間工場内に移転。 |